お茶碗にご飯粒残す派?残さない派?
ご飯を食べに行った時に気になること…
食べ終わった後の他人のお茶碗にご飯粒が残っているのが気になります。
私は小さい頃「ご飯粒の中には7人の神様がいるから最後まで綺麗に食べなさい」と親から教えられ育って来た為、ご飯を一粒でも残す事に対し、嫌悪感を抱きます。
もちろん、相手を非難するつもりはないですし、苦しくなるまで食べる必要も無いと思いますが、たった十数粒です。
また、洗い物をする時にご飯粒が残っていると、なかなか取れなくて大変です。
そういった点からも、あと少し食べれば良いのにと思ってしまいます。
ところが
ある時、ネット上でご飯粒を最後まで拾って食べるのは卑しい的な内容を見て衝撃を受けました。
世の中には、ご飯粒「残す派」と「残さない派」がいて、私は「残さない派」だったという事を始めて知りました。
それぞれ、どの様な主張なのか?
残す派の主張は
- わざわざ粒を拾うのが面倒
- 貧乏臭い
- 粒をかき集めて食べるのは、卑しく見える
一方、残さない派は
- 育ちが悪そう
- 農家に失礼
- 目が潰れると教わってきた
- わざわざかき集めないでも、綺麗に食べれる
というもの。
私は、残さない派なので、残す派の方の意見に中々同意出来ない部分はありますが、色々な人がいるんだなと思いました。同意はできないけど、否定するべきものでもないなと思いました。
つまりは、文化の違いという事だと思います。
ちなみに…
日本でもこんなに違いがあるのに、外国での食事マナーにはどのような違いがあるのでしょうか?
こちらのサイト(残さず食べるのは失礼?大人なら知っておくべき、海外のテーブルマナー | cafeglobe)を見ると、様々な違いがある事が分かります。
それぞれの国の食事に対するこだわりです。
また、これによると、中国は広い意味での「残す派」みたいですね。
まとめ
それぞれの拘りや育ってきた環境、親から子へ代々教育するだけの背景(例えば、米が主食なので、目が潰れるなどと教え大事にするというようなもの)が見えて面白いと思いました。
たかが、米一粒の事だけど、その一粒に文化的な歴史の重みを感じます。
この件に限らず、みんなが様々な違いを攻撃するのではなく、面白いと思えるようになれば、少し大げさかもしれませんが、世界の争い事の半分くらいは無くなるんじゃないかなと思いました。
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